マッハやチェックマン等のステアリングホイールのボスへの固定方法はM6皿ボルト4本留めという独特の固定方法です。
その4本のボルト穴の各々の中心を直線で結ぶと正方形の形になります。
そしてその各々の中心間距離は約38mmです。
何故このような固定方法になったのか? という疑問に対して持論を述べたいと思います。
60年代にホンダは第1期のF1への挑戦を始めました。
そして4輪として初の市販車であるT360(軽トラック)とS500(2シーターオープンスポーツカー)の生産を開始しています。
S500はすぐにS600にモデルチェンジされ、第2回日本グランプリレースに出場しています。
このS600は外装はほぽS500のままでしたが、もちろん中身はS600のメーカー製のチューニングエンジン等に換装されています。
その他にもCR4連キャブレターや5速ドグミッションやエアスクープ付のアルフィンドラムブレーキ等レース用の専用パーツが装着されていました。
これらの4輪用のレース用のパーツもホンダでは現代のHRCとでも呼ぶべき「RSC」(レーシング・サービス・クラブ→センター)で2輪用のレース用パーツと共に扱われることになりました。
S500やS600(以降エス)に採用されていた純正のステアリングホイールはスポークは板アルミでグリップ部はウッドでした。
この木の積層の接着や加工の技術が当時確立されていなかった為かステアリングの製造を当時ラケットメーカーのフタバヤラケットに委託していました。
ボスの部分はスチール製でアルミのスポーク部との接合は鉄製の4本のリベット仕様です。
この各リベットの中心間距離がマッハやチェックマン等のボルト穴のそれと全く同じなのです。
ここからは推論ですが、1965年前後にRSCより革巻きステアリングの製作依頼を受けたマッハを製造していた会社が、当初は急いでボスを作らなくてもステアリングをエスに装着できるようにとホンダ純正のエス用のスチール製ボス部のピッチに合わせてステアリングを製作したのが始まりだったのではないでしょうか。(市販されたエス用のステアリング用にはちゃんとアルミ削り出しのボスが用意されていました。)
そしてMOMOやNARDIに比べてボスの外径が小さいのも、このエスの純正のステアリングエンブレムを綺麗に固定する為の必然的なサイズではなかったのかと考えます。
その後、マッハが汎用品として市販される際には当然ホーンボタンを装着する必要性が出た為、イギリスのレスレストンやモトリタ等を参考にしてホーンボタン等を製造したと思われます。
エスの純正ステアリングエンブレムの外径とマッハのホーンボタンの外径はほとんど同じ大きさです。
この辺りからマッハステアリングのデザインの源流は「ホンダ=エス」にあったのではないかと考えられると思います。
その後マッハは日産の純正レース用OP品として採用され有名になりましたが、プリンス時代のR380等や一説にはホンダの第1期F1等の純レーシングカーにも採用されていました。
当時国産で革巻きのステアリングホイールを製造出来るところは少なかったと思われますから、これらは極めて自然な流れだったのではないでしょうか。